2012年11月6日火曜日


 
 


ぼくの戦争 LA MIA GUERRA

《 七歳。なぜまだ学校へいかなかったのか? 祖父や叔父らが、ぼくを手元に置きたくて、父を説得し、家で 勉強させることにしたらしい。父さんは、鉄道員だから、カラーブリアやシチリア方面の田舎の小さな駅で暮らさねばならず、ゴリーツィアの親戚から手紙がくるたびに口癖の、あの商人らの家で、年に六、七月も、ぼくが悪に染まるに任せねばならなかった。ゴリーツィアには幼年時代の雲の、軽く空色の、より明るい部分がつらなっており、その下では父との鉄道生活が、暗く嵐のようにぼくを抑えつけている。》 ヴィットリーニ『ぼくの戦争』花野秀男訳(学芸書林『実存と情況』所収)
《 戦争はぼくをあそこで不意にとらえた。よくは知らないが、一九一五年の春のあいだに、遅すぎぬうちにぼくを取り返そうとする父と、できるかぎり引き留めようとする商人らのあいだに手紙のやりとりがあったらしい。すでに二月から、ついで三月いっぱい四月にかけて、神秘な手紙が数通とどき、最後の日々には、電報がきて、祖父や叔父らは低声(ひくごえ)で真剣に話し合っていた。それらの手紙がとくに自分に関するものとは察していたが、ぼくは中味を知ろうとはぜんぜん思わなかったし、ひたすら信じていた祖父や叔父たちが、隠すのにかくも懸命な事柄を知るのは危険にも思われた。五月の半ば頃、ある正午に、みな食卓についてルシーアがおいしいキャベツのスープを、金曜日のメニューだったと思うが、皿に注いでいるとき、速達が舞い込み、まず祖父を激怒させ、開封されてからはみんなを打ちのめした。》 ヴィットリーニ『ぼくの戦争』花野秀男訳(学芸書林『実存と情況』所収)
《 翌日、庭で、フランコヴィクや他の遊び友だちがぼくにとほうもないニュースを聞かせた。「いいかい?」ともう名も憶えていないが顔に雀斑(そばかす)のあるブロンドの少年が言った。
 「ぼくらのとこも戦争になるんだぜ……」 戦争になる。初めその言葉が頭のなかでうなりを上げ、それからぼくの身体じゅうに歓びが無数の蜜房のように爆発した。一、二分間どんな気持ちでいたかはっきりと憶えている。ぼくは、晴れがましい碧色(へきいろ)の半ズボンをはいてはいるが、遊ぶ時はいつも屈辱的な黒い前だれをつけ、自分が七歳の子供である、という意識を失った。ぼくは自分が刺草(いらくさ)の茎や大砲の雲であるかのように、ぼく自身が戦争であると感じていた。ぼくは戦争をしたかった。戦争はぼくに近づいていた。つまりあの煙や、あの砲火や、あの死や、あの兵士たちが戦場を駆けめぐる、去年の頃からしばしば人の口の端にのぼるけれども、遠い祭りのように、ぼくらには禁じられ、ベルギーやフランスの寓話であった戦争が…… そしてこれらの名前――フランス、ベルギー――の寓話の霧が、ぼくの周囲で、樹木や、砂利や、池の金魚たちや、電車の音や、コルソ通りの屋根屋根のむこうに見えるお城につきまといはじめ、半分草地で半分市街の丘のうえで、戦艦のようにすべての窓から、いまにも、ドカーン、ドカーンと砲撃が始められるように思われてくるのだった。》 ヴィットリーニ『ぼくの戦争』花野秀男訳(学芸書林『実存と情況』所収)
《 河の流れにしたがって、平野のかなたへ、ぼくらは視線を転じた。すでに明るかった、がいまだ晴れか雨降りの一日になるかはわからなかった。ただ寒かった。此岸(しがん)のヴぇルトイーパ、対岸のルチーニコや聖ロレンツォ・ディ・モッサの村々が、不吉な煙を上げていた。だが霧かもしれない。「戦っているのはあそこだ」いきなり祖父が言った。彼はコルモンス方面の空の一角を指さし、叔母が双眼鏡をかまえようとしたそのとき、城の大砲が、ナポレオン戦役後はじめてということだが、かくも似つかわしくない時刻に、重々しく殷々と砲声をとどろかせて、ぼくらの四階の窓ガラスすべてを長いあいだ顫(ふる)わせたのだった。》 ヴィットリーニ『ぼくの戦争』花野秀男訳(学芸書林『実存と情況』所収)
《 一台の自動車が、グランデ広場から下ってきて、高い鉄柵のむこうを通り過ぎた。片隅でトランペットが鳴り響いた。〔……〕車はコルソ通りに滑り込み、白い手袋をした一本の手がひとつひとつそのカーテンを降ろしていた。人びとがある名をつぶやいたのを憶えているが、ぼくはあの男が《戦争の主人》ではなかろうかと考えた。》 ヴィットリーニ『ぼくの戦争』花野秀男訳(学芸書林『実存と情況』所収)
《 家への帰り道、グランデ広場に通りかかると、兵舎の大門は開け放たれ、なかでは、中庭に人びとがごったがえしていた。〔……〕黒い軽騎兵らは、鞍に跨り、槍を地面に突き立てて、広場の中央に屯していた。すると数個の太鼓が鳴り響いて兵舎の大門から、四人ずつ、多くは無帽のまま、一様に小さな包みを小脇にかかえて、中庭の男たち全部が出てきはじめた。彼らはボタン穴に、太陽に煌めくブリキのコップを吊るし、長い行進のあとのように埃まみれの靴をはいて、疲れた歩みを続けていった。「あれは捕虜かしら?」とエミリエッタがぼくに訊いた。従兄のボリスは共感をこめて微笑んだ。「捕虜たち?」ぼくは疑惑にかられてしまった。が、後に、家に着いてから、知った。毎日、これらの招集によって、新たに人びとが送り出された。当局はコルソ通りの両端に非常線を張って舗道にいるだれかれ構わず止まらせた。兵舎では、急いで、医師らが見回り、病人や老人などを自由にした。その他は、打ち鳴らす太鼓の響きとともに、家の女たちと別れを交わすこともなく、アルプス越えの鉄道駅へと向かうのである。そこからは山々を越えて、オーストリアに入り、ポーランド国境で、背嚢と小銃を肩に、ほんとうの兵隊となるのだろう。》 ヴィットリーニ『ぼくの戦争』花野秀男訳(学芸書林『実存と情況』所収)
《 数々の午後、それらは記憶のなかでもはや分ちがたくすべてひとつの巨大な午後のように思われるのであるが、食事が終わるとすぐ、人びとは窓際に駆け寄るのだった。〔……〕
  ある日、フリウーリ地方に向けて欹てられたこれらの耳すべてに遠くから何やら金属的なものが動く気配が空を通して伝わってくるように思われた。〔……〕が、彼方で、青銅あるいは銀色の小さな雲たちが、一瞬、ぶつかり合ったのだと考えたのを、憶えている。「まあ、鐘の音よ」ベネデッタオ叔母が叫んだ。少しずつその音は近づき、空間に消え入ると見せてはより大胆に鳴り響いてきた。帆走するカリヨンといってもよく、ぼくらめざして空中を走りくる大伽藍であった。新たな轟きのごとに叔父らの独りが叫んだ。「おやヴィルラノーヴぁだ」、「あれはコルモンスだぞ」 祖父はカプリーヴァの鐘の音を聞き分けた。〔……〕だがカプリーヴァからはその金属性の雲はイゾンツォ川に沿って、南へ下っていった。……〔……〕 誰も窓から離れられなかったし、もう陽が昇ってきたから、我を忘れて、平野の彼方に向け眼を見開いた。天気は上々だったが、山間(やまあい)に何物かが唸りを上げていた。天空の奥所から、軽やかに恐ろしく、ある嵐がやってくるのだとぼくらは思った。と、とつぜん大地がぼくらの背後で陥没するような気がした。》 ヴィットリーニ『ぼくの戦争』花野秀男訳(学芸書林『実存と情況』所収)
《ぼくはテラスに出してもらった。ぼくらの眼前、群がる屋根のうえで、サポティーノとボドゴーラの山腹がこきざみに震えていた。ふたたび轟音がとどろくと空全体が明るく輝いた。「見ろ、兵隊がごっそり出てきたぞ」とオドアルド叔父はつぶやいた。「あそこだ、あそこで待伏せるのだ」》 ヴィットリーニ『ぼくの戦争』花野秀男訳(学芸書林『実存と情況』所収)
《 その夜ぼくは眠らなかった。サポティーノとポドゴーラの山々がぼくの頭のうえで開いたり閉じたりするのを聴いていた。それはぼくを戦慄させた。あれは山を真っ二つにする妖怪たちだ、とぼくは考えた。彼らは何度も顔を覗かせたり窓枠をがたつかせたりした。ぼくはボリスとエミリエッタの名を呼んだ。すぐ元気に返事をしたから、彼らも眠ってはいなかったのだ。そこでぼくたちは同じベッドにかたまると、抱き合ったまま、ぼくらの周囲に突如として現れたこのドラゴンたちの喧騒について、翌朝まで話し合ったものだった。》 ヴィットリーニ『ぼくの戦争』花野秀男訳(学芸書林『実存と情況』所収)

《 その日から一九一六年の八月まで、あの包囲の年のぼくの記憶は、その粉々となったいくつかの出来事とともに二十四時間の空間のなかでのように、時もなく羽ばたいている。あの日、あの年じゅうは夢現に、ある嵐の爆ぜる音を聞きながら、稲妻の閃光がぼくを打ち据えやしないかと惧れて、両眼(め)を閉じ両拳(こぶし)を握りしめていたかのようだった。》 ヴィットリーニ『ぼくの戦争』花野秀男訳(学芸書林『実存と情況』所収)
《 その間ぼくらは、遠かろうが近かろうが砲声ごとに、すべての窓ガラスがわなわな顫えるあの四階の部屋を見捨てて、叔母の親類が経営するあるコーヒーショップの台所に移り住んだ。》 ヴィットリーニ『ぼくの戦争』花野秀男訳(学芸書林『実存と情況』所収)
《 台所は薄暗く、湿っぽかった。祖父が絶えず愚痴をこぼして、スープが塩辛いときのような身振りをしては《湿っぽい、湿っぽい》という恐ろしい言葉を連発したのをぼくは憶えている。それはいまにも祖父が湿気ゆえに死んでしまうような重苦しい印象をぼくに与えて、ぼくはときには《湿っぽく塩辛い》怪物が床の敷石から生まれ出てくる夢を見たりした。初めは屋根裏を走り回るヤモリほどの大きさだったのが、昇ったり降りたり走り回るうちに、とつぜんぼくら全部を呑みこんでしまうほど巨大な怪物に変容するのだった。》 ヴィットリーニ『ぼくの戦争』花野秀男訳(学芸書林『実存と情況』所収)
《 だが台所は、冬の夜に酒飲みらがトランプをしにそのまわりに集まる広い炉端のゆえにのみそう呼ばれていたのであって、それはキャビンでも、倉庫でもあり、率直に言って、ラムの空箱やセルツの壜などでまったく手狭になっており、ぼくら子供は戦争への愛がささやくままに、そこに幸福の総司令部を設立したのだった。あの厩舎とジャングルの臭いのする、馬蹄の響きや、上陸の歓声や、猿や鸚鵡の喚き声に充ちた、弓なりのあの長い大部屋を忘れることがあろうか? 雄鶏の羽根を髪に挿して従兄のボリスとぼくはただちに敵であると宣言した。エミリエッタはぼくらの獲物というところだろう、実際そうだった。彼女に隠れさせ、しばしば長々しい待伏せのフィクションのために大箱のなかに隠れさせて、順番に彼女を略奪したりした。ボリスが投げ縄を振り回わし、ぼくがウィンチェスター銃を構えて、鷲の嘴をもち尾はガラガラ蛇の虎を、隘路に待伏せた王国である、ファーウェストや、マットグロッソの女王に彼女を戴いたりもした。》 ヴィットリーニ『ぼくの戦争』花野秀男訳(学芸書林『実存と情況』所収)




  『ぼくの戦争』は、ヴィットリーニ、二十三歳のときの作である。
  他はいずれも、ヴィットリーニが、さらに若いころの作品である。
  これを訳したぼくも二十三歳、学園は閉鎖され、当時留年中のぼくは、まだ学生だったのではあるまいか。
  これを収めたヴィットリーニの処女作・短編集『プチブルジョワジー』(一九三一)には巻頭の『ぼくの戦争』に次いで、『十五分の遅刻』、『アドルフォの躾け』、『県庁の中の疾風』の短篇三部作が収められている。この三部作が、前衛的、かつ、じつに面白い小説であることを、ぼくが発見したのは、そんなに昔のことではない。
  本短編集には、ほかに、傑作『駅長夫人』、パセティックな佳作『小さな恋』、ここでは次に、若干、引用しようかと考えている『家にひとりで』、そして、掉尾を飾る、『ベッドの夫妻』、などの貴重な作品が収められている。
  それにしても、この短編集のタイトルには、そのまま、『ぼくの戦争』でも、または『県庁の中の疾風』でも、あるいはまた『駅長夫人』でも、よかりそうなものだったのに、ヴィットリーニは、なぜにことさら、『プチブルジョワジー』としたのか、あるいはそれを諒としたのか、いまさらのように、ここで思いを致してみることは、やはり、必要であろう。

  ――今回初めて、穂岐山道子さんの訳文『家にひとりで』と、ヴィットリーニの原文Sola in casaを、突き合せて読んでみて、まさに一驚してしまった。
  実に巧みな訳出なのである。たしかに数箇所、思い込みによる誤りはあるけれども、上手いものだと、感心させられること、まことに頻りであった。
  とっくの昔に、一驚してしかるべきものを、いまごろになって一驚しているおのれの迂闊さというか、不遜を、思い知る。
   ヴィットリーニの翻訳としては、強いていえば、「足りているけど、どこかちがう」この穂岐山さんの上手い訳に対して、後出『シチリアでの会話』の鷲平さんの訳は、「どこか足りないけれど、ヴィットリーニらしい」優れた訳なのである。
   こういう両先達に比して、はるかに浅学菲才のぼくが目指すのは、まさに「ヴィットリーニ、そのもの」の日本語表現なのであるから、道は嶮しく、遥かに遠いといわざるをえない。


家にひとりで Sola in casa

《 もうじきお昼になるんだわ。十一月の真昼ってなんてすてきなのかしら! 表からは窓ガラスにはじけんばかりの陽気なざわめきが聞こえてくる。自転車のベル、車の警笛、子供たちの声。部屋には床いちめんに陽の光があふれ、いつのまにか絨毯の半ばまでしのびこみ、今度はカバーづたいにベッドによじのぼろうとしている。まるで光の川みたい。リゼッタは両足をそろえて川の向こう岸に飛んでみる。それから眼を閉じ腕を振ってすっぽりとそのなかにもぐりこんだ。》 ヴィットリーニ『家にひとりで』穂岐山道子訳(学芸書林『実存と情況』所収)
《 家には彼女ひとりだった。パオロは数日前から旅行に出かけている。娘も一緒で、今頃は汽車のなかだろう。女中は昨日になって急に休暇を申し出た。天気は上々だし、〔……〕そんなわけで、ひとりきり、本当に生まれてはじめてひとりで家に残り、家じゅうにあふれる陽ざしを浴びて、部屋の掃除から食事の支度まですべて人手を借りずにやってのけるのが、彼女にはまたとない楽しみに思われるのだった。彼女の人生には不可解な要素などひとつとしてありはしないまたとないことだろう〕。そしてリゼッタは喜び勇んで、生涯に一度きりの女ひとりの一日を始めたのだ。》311頁 ヴィットリーニ『家にひとりで』穂岐山道子訳(学芸書林『実存と情況』所収)
《 ふいに愛撫されたい欲望が頭をもたげた。毎朝ベッドのなかでパジャマを脱ぎシュミーズに手を通すまでの間、夢うつつのうちにいつのまにかその羽のような指で全身をまさぐっている、あの時とそっくり同じ欲望。どうしてパオロは夜しか愛してくれないのかしら? なんだか夜の自分よりもっと小さくなってしまったみたい〔夜には、あたしはずっとちぢこまっているみたいに感じてしまうのに〕。
乳房も身体ももぎとられ、ただもう姿を隠してしまおうと必死になって地面の穴を探しているあの小動物のように。朝ごとに彼女は複雑な曲線を描いて新たな女に生まれ変わる。そのときこそ、愛されているしるしが欲しいのだ。だのにパオロときたら布団をはねのけるが早いか、〔……〕》312頁 ヴィットリーニ『家にひとりで』穂岐山道子訳(学芸書林『実存と情況』所収)


新しい文化

《 もはや苦しみのなかで慰める文化ではなく、苦しみから守り、それと闘い、それを跳ね除ける文化を。》 ヴィットリーニ『新しい文化』河島英昭訳(学芸書林『実存と情況』所収)















シチリアでの会話 CONVERSAZIONE IN SICILIA

 
 「これは、後日、長々と引用することになりそうだ。が、訳者の鷲平京子さんには済まないが、文中の〈私〉は、すべて、〈ぼく〉に置き換えさせていただく、ご免!」
 「ご免!、で済むなら、警察はいらない」
 「ふむ、まことにごもっとも、警察なぞは、いらない。ただ、読んでくれればいいのだ」
 「ふむ、ふむ、先輩、らしい、ことよ、ね」

《 ぼくは、あの冬、漠とした怒りの虜(とりこ)になっていた。その謂(いわ)れを言うつもりはない、そのことを語りはじめたのではないから。ただし、これだけは言っておこう。その怒りは漠としており、猛々(たけだけ)しくはなく、生き生きとしてもいなかったが、いずれにせよ、失われた人間の類(たぐい)*ゆえの怒りであった。ずいぶんまえからそうだった、そしてぼくはうつむいていた。声高(こわだか)な新聞の貼出(はりだ)しを見るたびに、ぼくはうなだれていた。友人たちに会えば、一時間が経(た)ち、二時間が経っても、彼らといっしょにいるだけで、ひと言も口をきかずに、ぼくはうなだれていた。そしてぼくには、ぼくを待っている恋人か妻らしき女がいたが、彼女といっしょにいてもやはり、ひと言も口をきかずに、彼女といっしょにいてもやはり、ぼくはうなだれていた。そのあいだじゅう雨が降りしきり、幾日(いくにち)かが過ぎ、幾月(いくつき)かが過ぎていった。そしてぼくは破れた靴を履(は)いたまま、雨水を靴のなかに浸みこませていた。そしてもはや何もなかった、これ以外には。つまり雨と、貼出された新聞紙上の虐殺の数々。ぼくの破れた靴に浸みこむ雨水と、無言の友人たちと、聾唖(ろうあ)の夢のようなぼくの生活。そして消えた〔潰えた〕希望と、静けさと。》 第一部- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫

《 そんなときに、ぼくの父からの手紙が届いた。
  封筒の筆跡には見覚えがあったが、すぐに開(あ)けようとはせずに、追憶のなかでぼくはためらった。そして思い出した、自分がかつて幼(おさ)な児(ご)であったことを。やはり自分が、いずれにせよ、幼年時代を過ごしたことを。手紙を開けてみると、その手紙には次のように書いてあった。》1‐2 ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫
〔……〕いまやおまえたちの母親は独(ひと)りぼっちなのだから、ときどきは会いに行ってやってほしい。とくにおまえは、シルヴェストロよ、十五歳のときにわたしたちのもとを去っていったが、あれ以来、おさらばのままで、まったく顔を見せてくれていない。十二月八日には、聖名祝日のお祝いに例年どおりの葉書を彼女に送る代わりに、思いきって汽車に乗り、南へ下って、彼女を訪ねてみてはどうか?〔……〕パパの心からの愛をこめて、
コンスタンティーノより*。》一- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫
《 よく見ると、その手紙はヴェネツィアから来ていた。》一- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫
《 ぼくは思い出した。彼のことを、そして自分が幼な児であったことを。そしてシチリアを、そこの山々を、ぼくは思った。けれども追憶はぼくのなかで、この方向にのみ開かれただけだった。つまり彼を思い出したことと、彼に拍手を送る少年の自分に戻ったことこと。彼の姿、マクベスに扮(ふん)した彼の真っ赤な衣装、彼の声、彼の青い瞳。 まるで彼がいま、ヴェネツィアという名の舞台で、またもや芝居をしていて、またもや拍手を求めているかのように。》一- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫

《 もはやぼくは恋人の顔を見つめる気持にはなれずに、いまや読むに堪える唯一のぼくの書物である辞書を、ひたすらめくっていた。いつしかぼくのなかに、悲しげに鳴り響く笛の音(ね)のような、悲しい音色(ねいろ)が聞こえだした。ぼくは毎朝、植字工‐ライノタイプ工というぼくの職業のために、働きに出かけていた。そして一日に七時間もライノタイプを打っていた。鉛の高熱に晒(さら)され、帽子の庇(ひさし)で目を守りながら。笛の音はぼくのなかにしだいに鳴り響いて、思い出とは言えないような何匹もの何匹もの鼠(ねずみ)たちを、ぼくのなかで動かしていった*。》一- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫
《 早速、お祝いの葉書を書いてポケットに入れると、十五日目の終わりにあたる土曜日だったので、給料を受けとりにいった。それから葉書を投函するために駅へ行き、そのロビーのまえを通りかかった。そこは光に満ちており、外には雨が降っていて、雨水がぼくの靴に浸みこんでいた。光のなかでぼくはロビーの階段を昇った。ぼくには同じことだった、雨のなかを家に向かって歩きつづけようと、あの階段を昇っていこうと。だからそうして光のなかをぼくは昇っていった。。》一- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫
《 そのときぼくは一瞬、さながら二つの道のまえで佇(たたず)んでいた。一つは家へ帰る道であり、虐殺されたあの大ぜいの人びとゆえの漠とした思いのなかへと、そして相変わらず静けさのなかへと、消えた希望の〔希望のない〕なかへと、続いていた。もう一つはシチリア島へ、あの山あいへ、向かう道であり、ぼくの内なる笛の悲しい音色のなかへと、そしてある何かのなかへと、続いていた。その何かは、かくもくすんだ静けさやかくも音のない消えた〔潰えた〕希望とは、違うものなのかもしれなかった。しかしながら、どちらの道を選ぼうと、ぼくにはやはり、同じことだった。あの人間の類はやはり、失われるのだから。ふと見ると、七時発の南部行きの列車があった。発車まで、あと十分だった。》一- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫
《 あの笛の音がぼくのなかで鋭く鳴り響いていた。だがぼくには同じことだった、旅立とうと、旅立つまいと。切符を一枚、買い求めた。二百五十リラ。すると受けとったばかりの十五日分の給料のうち、あと百リラがポケットに残った。駅の構内へぼくは入った、照明灯の列と、堂々たる機関車の列と、叫びちらす赤帽の群れのなかへ。そして長い夜の旅が始まった。しかしぼくには同じことだった、家にいて、ぼくの机で辞書をめくっていようとも、あるいはぼくの妻‐恋人とベッドを共にしていようとも。》一- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫

《 ぼくは旅をしていた。そしてフィレンツェで、真夜中の零時ころに、汽車を乗り換え、翌朝の六時ころに、ローマ終着駅で、もう一度乗り換え、そして正午近くに、ナーポリへ着いた。そこは雨が降っていなかった。五十リラで妻に電報を打った。
 電文は、「木曜日に帰る」》 一-3 (15頁) ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫

 
 「五十リラで妻に電報を打った。」と、あるが、ここは、「電報為替で妻に五十リラ送った。」だろう。なにしろ、原文に、e spedii un vaglia telegrafico di lire cinquanta a mia moglie. と、あるのだから。
  十五日分の給料が三百五十リラ、つねの日ならば、その七分の一の五十リラを自分のために除けて、あとの三百リラは妻=恋人と子供たちのために、そっくり手渡していたことだろう(うーむ、これはわかるなぁ。煙草を数日間我慢しなければ、本も買えない暮しだ、これは)。それが、この日に限って、シラクーザへの往復切符に二百五十リラ取られたとはいえ、自分のために三百リラ、つまりわずかな給料の七分の六を、取りのけて、残る七分の一を、「電報為替で妻に五十リラ送った。」のだから、わずかとはいえ、のっぴきならぬ生活費の配分が、ここでは、劇的に、逆転している。
 これは、圧政下、変り映えのしない灰色の日常――しかもその一刻一刻にも隣国スペインでは罪もない民衆が殺されつづけているというのに、そしていま何もしなければ自分たちもその虐殺に加担していることになるというのに――の水面下で、何かが動きだそうとしている事態を、予想させる一つの伏線には、違いない。些細なことかもしれないが、重大な、こういうところで、出掛けに、躓きたくはないものだ。


《 それからカラーブリア地方へ向かって、汽車の旅を続けた。ふたたび雨が降りだし、夜が訪れてきたとき、ぼくは思い出した、旅というものを。家から、シチリアから十回も逃亡して、煙とトンネルだらけのあの地方一帯を、行き来しながら、旅をしていた、幼い日のぼく。そして山の入口で、海の真前(まんまえ)で、アマンテーア、マラテーア、ジョイア・タウロなど、太古の夢を宿した駅名のところで、しばし佇む列車が闇夜に響かせる、曰(いわ)く言いがたい汽笛の音。こうして単なる鼠は、突然、もはやぼくのなかの単なる鼠ではなくなって、匂いに、味に、風になった。そしてあの笛が、一瞬、もはや悲しい音色ではなく、妙(たえ)なる甘い音色を奏(かな)でた。ぼくは微睡(まどろ)み、ふと目覚め、ふたたび微睡んでは、また目覚めて、しまいにはシチリア行の汽船‐連絡船の舷(ふなばた)に立っていた。》 一- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫
《 海は黒ずんで、冬空そのものだった。階上の甲板(かんぱん)の、あの高みに立っていると、またもや少年の日のぼくが思い出された。風に吹かれながら、貪(むさぼ)るように見つめる海の彼方(かなた)には、対峙する二つの岬のどちらへ向かうときにも、その麓(ふもと)に踞(うずくま)る町や村が、早朝の雨に煙(けむ)って、あの廃墟の相貌を現わすのだった。寒さが募(つの)るにつけても、思い出された。行手(ゆくて)の海へと突きだして、潮風をまともに受ける、あの甲板の高みの上で、寒くてたまらないのに、頑(かたく)なに立ちつくしていた、少年のぼく。》 一- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫
《いつのまにかメッシーナが近づいていた。それはもはや海辺に踞(うずくま)る廃墟ではなかった。家並や、埠頭(ふとう)や、白じろとした路面電車や、駅の広大な空地(あきち)に並ぶ黒ずんだ車輛の列だった。その朝は雨曇(あまぐも)りではあったけれども、雨が降ってはいなかった。階上の甲板ではすべてが湿っていて、風は湿っぽく吹きつけ、船の汽笛は湿っぽく響き、陸から聞えてくる機関車の汽笛は、まるで霧笛(むてき)のようだった。だが、雨は降っていなかった。そして煙突の後方を不意に振り返ると、冬の海上の真只中(まっただなか)を、灯台の塔が高々と、ヴィッラ・サン・ジョヴァンニへ向かって航行してゆくかに見えるのだった。》 一- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫
《「メッシーナだわ」と、一人の女が呻(うめ)くように呟(つぶや)いた。それはわけもなく呟かれた言葉だった、単なる恨み言みたいに。そしてぼくは見守っていた、幼い妻を連れた小柄なシチリア人を。彼は絶望的にオレンジの皮を剥(む)いて、絶望的にその実を頰ばった、怒り狂いながら。ちっとも食べたくはないのに。そして噛(か)みもせずに、呑みこんでしまった、まるで呪(のろ)いの言葉みたいに。オレンジの汁に濡(ぬ)れて、寒さにかじかむ指先。潮風を受けて、少し丸めた背中。鼻柱に打ちつける、やわらかな鳥打帽の庇。
 「シチリア人は朝に何も食べません」不意に彼が言った。
 そして付け加えた、「アメリカ人なのですか、あなたは?」》 一- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫

《 すると彼は、小柄なシチリア人は、ほんの一時(いっとき)、希望のなかで息を潜(ひそ)めた。それから足元にいる幼い妻を見つめた、袋の上に踞(うずくま)って、身動(みじろ)ぎもせぬ、黒っぽい、その塊(かたまり)を。そしてたちまち絶望してしまった。そして絶望的に、船の上のときと同じように、身を屈めて籠の紐の一部を解(ほど)くと、オレンジを取りだした。そしてそれを絶望的に差しだした、やはり跪(ひざまず)いて、あの妻に。そして彼女に言葉もなく拒まれると、絶望に打ちひしがれた、掌(てのひら)にオレンジをのせたままで。やがて自分のために皮を剥きはじめ、自分がその実を頰ばり、そのまま呑みこんだ、まるで呪いの言葉を呑みこむみたいに。》 一- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫
《 汽車が動きだし、扉口の一つにぼくは跳び乗った。
  「さようなら、さようなら!」
  「誰も欲しがらないのです……誰も欲しがらないのです……まるで毒でもあるみたいに……呪われたオレンジなんかは」》 一- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫

《 動いてゆく汽車の室内に入り、板張りの座席に身を投げ出した途端(とたん)に、耳を澄ませば、通路で二つの声が、いまの事件について話しあっていた。》 一- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫
《そして〈髭あり〉が言うには、一度その行きつけの床屋を捕まえて、三日間、中にぶちこんでやった。すると〈髭なし〉が言うには、自分もボローニャで、馴染(なじ)みの肉屋に、同じことをしてやった。》
 一- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫
《 二つの声は、不意に断ち切られて、列車の轟音のなかに消えた。そしてオレンジの林を、山ぎわを、海べりを、列車は駆けぬけていった。彼方には、山頂の雪が見え隠れしていた。風に吹きはらわれて、雨雲はすでに去り、空が明るくなっていた。ただし陽射(ひざし)はまだなかったが。そしてぼくは思い出した、あの車窓の風景を。つまりメッシーナとカターニアのほぼ中間に、ぼくたちはいるのだった。外の二つの声はもはや聞こえてこなかった。ふと、ほかのシチリア人たちのことが気になって、ぼくはまわりを見た。》 一- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫

《 「いやな臭(にお)いがしませんでしたか?」と、ぼくの向かいの男が言った。
  彼はシチリア人であったが、大柄であり、たぶんニコジーアあたりのロンバルディーア人かノルマン人の末裔(まつえい)だった。》 一- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫

《 そのとき、何の臭いであるかがわかって、ぼくは笑いだした。
  「ああ、あの臭いでしたか!」と言った。「あの臭いでしたね!」
  ぼくたちはみなほっとして、朗(ほが)らかで上機嫌になった。しかし通路ではあの二人が、子供のころに過ごした場所へと、彼らの故郷へと、思いを馳(は)せているのだった。
  「おかしな話です」と、ぼくは言った。「世界のどこよりもシチリアで、彼らは疎(うと)まれています……けれどもイタリアでは、ほとんど全員がシチリア人なのです、あの職業に就(つ)いているのは。」》 一- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫

《 「そうですか、しかしわかるような気がしますね……悲しい民族ですから、われわれは」》 一- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫

《 すると〈大ロンバルディーア人〉が言った、「〔……〕自棄(やけ)になったときに、人は何をするでしょうか? もう駄目だと捨鉢になったときに? 最もやりたくないことをするのです……」》 一- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫

《「自分は所有しているものすべてを、あの馬さえも、土地すらも、投げ出すであろう、仲間の一人として、使用人〔人間〕たちと、もっと打ちけあうためならば。〔……〕ただ、自分が使用人〔人間〕たちと打ちとけあっているとは思えないのです〔……〕従来のものではない、別な、新しい義務を。いままでよりも崇高で、人間たちに向けられた、新しい義務を。」》 一- 44,45ページ ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫
 ここは、使用人たちをも含む、人間たち、であろう。ましてや原文ではただ一語、uomini と言っているのだから。つねに正確な訳語を求めつづける鷲平さんの翻訳態度に大いなる共感を覚えつつ、読みすすみながら、みなとともにシチリアの旅をつづけながら、ときには苛立ってしまう。これでは、作者のいわんとする意味が、狭まってしまうではないか。(「私」にしてもそうだ。この「私」は「私」「わたし」をも含む〈ぼく〉なのだ。)ただし、鷲平さんの翻訳がたいへん優れたものであることを、ここで、断っておかなければ、やはり、公平ではないであろう。
《ぼくは旅を続け、さらに旅を続けた、虚ろな平原に降り注ぐ陽射しのなかを。そしてついに平原はマラリアの靄(もや)に覆われて、そしてレンティーニに着いた、オレンジの林とマラリヤの靄が緑なす、なだらかな裾野に。するとショールにくるまった若者が降り、陽射しの下で寒さに身を竦(すく)ませた。そして寂(さび)れたプラットフォームの上を、マラリアに寠(やつ)れた影が遠ざかっていった。》 一- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫

《見れば、いつのまにか、アウグスタを過ぎようとしていた。あの死んだような家並の山が、海の只中に浮かび、そのまわりでは、何隻もの飛行艇や艦艇が、そして塩田が、陽射に晒されていた。いまやシラクーザが近づいていた。虚ろな原野を、シラクーザの海沿いに、旅は進んでいたのだった。》 一- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫
《やがてカーブを描く岩がちの原野の行手(ゆくて)に、海を背にして、シラクーザの大聖堂(ドゥオーモ)の岩塊(がんかい)が姿を現わした。》 一- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫
《 だが、いまやぼくは知ってしまっていた、オレンジを抱えた男のことを、〈髭あり〉と〈髭なし〉を、〈大ロンバルディーア人〉を、カターニアの男を、枯れ枝の声を出す小柄な老人を、ショールにくるまったマラリアの若者を。すると不意に思えてきた、いまいるのがシラクーザであろうと別のところであろうと、おそらく、どうでもよくはないのだと。
 《何て馬鹿なんだろう》と心に呟(つぶや)いた。《こんなことより、なぜ、ぼくの母に会いに行かなかったのだ? 同じ料金で、同じ時間で、あの山あいに行けたのに……》
 ふと見ると手元には、母宛のお祝いの葉書が、投函せずに残っていた。考えてみれば、もう八日なのだった。《大変だ!》と思った。《可哀(かわい)そうな母さん!ぼくが自分で持っていかなければ、今日じゅうにはもう届かないじゃないか》そこでただちに〈支線鉄道〉の駅へ、手持ちのお金で足りるかどうかを聞きに行った。ぼくの母の家まで、あの山あいまで、旅を続けるために。》 一- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫

《 三時に、十二月の陽射(ひざし)のなかで、密(ひそ)かにざわめく海をあとにすると、小型列車は入りこんでいった、緑色の小さな車輛を連ねて、岩だらけの隘路へと、そしてやがてフィーキディンディアの森へと。その支線鉄道は、シチリアのなかを、シラクーザから山間部へ向かうのだった。ソルティーノや、パラツッツォーロや、モンテ・ラウロや、ヴィッヅィーニや、グランミケーレへ。》 第二部- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫
《 通ってゆく先々の駅は、いずれも木造の小屋で、駅長の赤い帽子に陽射が照りつけていた。そして森が開(ひら)けたり迫(せま)ったりするのだった、熊手みたいに生い茂るフィーキディンディアの森が。まるで空色の岩石だった、どのフィーキディンディアも。そして生きた魂に出会うとすれば、一人の少年だけで、彼は線路に沿って行ったり来たりしていた。フィーキディンディアの岩根から珊瑚(さんご)のように生(は)えた棘(とげ)だらけの果実を摘みとるために。汽車に向かって彼は叫んでいた、汽車が目のまえを通り過ぎてしまうまで。》 二- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫
《 森の採石場のなかには風が吹きぬけていた。停車のたびに、その音が聞えてきた、先ほどまでの海の音にも似ている、微(かす)かな風のざわめきが。やがて赤い小旗の縁(ヘリ)が翻(ひるがえ)れば、到着したり、また発車したりするのだった。そしてフィーキディンディアの茂みの奥に、家並が見え隠れしていた。汽車が橋桁(はしげた)の上で停止するときには、橋の下に、階段状に重なる屋根また屋根が見えた。トンネルを潜(くぐ)りぬけると、フィーキディンディアの岩礁(がんしょう)にまたもや取り囲まれ、そして生きた魂にまたもや出会うとすれば、一人の少年だけだった。》 二- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫
 引用上の礼儀として、そのいくつかは心ならずもすでに破ってはいるのだが、ここまで来ると、さすがに煩わしいので、ルビは結局、以後、必要最小限にとどめることにする。
《 やがて渓流の轟が聞こえてくると、一つの声が呟いた、「ヴィッヅィーニだな」そしてその渓流の轟が汽車の足元に淀んだとき、ぼくたちは止まっていた。乗客が流れのほとりを降りていった。夜の深みのなかへ。その片側に山が聳え、反対側は空(そら)だった。》 二- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫
《そしてそこでぼくは眠った、蝗豆〔いなごまめ〕のあの匂いに埋(うず)もれ、地下に葬られたみたいに深ぶかと。そして翌朝起きてみると、ぼくは半ば蝗豆になっていて、いまや体のなかにあの匂いを籠らせ、鎧戸のない窓辺の光に照らされていた。ぼくは旅を続けた。微睡(まどろ)みが醒めやらぬかのように、バスに揺られながら、渓流沿いに、ヴィッヅィーニの高みから三つの峡谷を越え、山あいのさらなる高みへ向かって。三時間が過ぎたころ、ついに誰かが呟いた、「雪〔ネーヴェ〕だ」そして到着したのだった。》 二- ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫

《 《さあ、見たまえ》ぼくは独りごちた。《母のところへきているのだ!》そのときバスを降りたぼくは、母の村の高台地区へ向かって長々と伸びる石段の麓にいた。》 二-10 ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫
《 その村の名前が石壁に書いてあった、毎年ぼくが母に送る葉書の宛名のとおりに。そして他の一切は、つまり古びた家並のあいだのあの石段と、周囲の山々と、屋根の上の斑の雪は、ぼくの目のまえにあった。そっくりの情景が、幼いころに一度か二度あったことを、不意にぼくは思い出していた。》 二-10 ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫
《〔……〕ぼくの旅をまだ終わらせなかったことに。これこそは、そこにいることにおいて最も重要なことだった。ぼくの旅を終わらせなかったこと。それどころか、たぶん、ようやく始めたばかりだということ。》 二-10 ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫
《 《さあ、見たまえ、母のところへ来ているのだ》と、ふたたびぼくは独りごちた。そしてふと思い知った、そこにいるということを。それは追憶の一瞬に、しかもこの世ならぬ一瞬に、ふと立ち返るときに似ていた。そして四次元の旅に入りこんでしまったみたいな気がした。》 二-10 ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫
《その家は、表示された街路の突きあたりにあり、小さな庭を跨ぐようにして、短い外階段がついていた。ぼくは昇った、陽射のなかを。いま一度、葉書の宛先を見つめた。そこがぼくの母の家だった。入口に見覚えがあった。そしてそこにいるのは、どうでもよいことではなかった。それどころか、四次元の旅の頂点だった。》 二-10 ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫

《 女主人が現われた。背が高く、頭のところは明るく輝いていた。ぼくは何もかも思い出した、ぼくの母が背の高い女のひとで、金色がかった栗色の髪と、引きしまった顎と鼻と、そして黒い瞳の持主だということを。彼女は防寒用の赤い布を肩にかけていた。》 二-11 ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫
《 「もちろんよ」と母が言った。「冬には鰊〔にしん〕で、夏にはピーマン。いつだって、それがわたしたちの食べ方だった。覚えていないの?」
  「そして薊(あざみ)を添えた蚕豆(そらまめ)も」とぼくが言った、思い出を辿りながら。》 二-11 ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫
《 鰊を摑んで彼女が立ちあがった。〔……〕貨物列車から飛び降りるぼくらを待ちかまえていた、若々しく恐ろしげな、棍棒を握りしめた、あの母の思い出。その思い出と同時に、別離の歳月を隔てた、いまのさらなるもの、要するに、二重の現実の存在なのだった。〔……〕つまり二重の現実なのだった。〔……〕つまり二重の真実であるという、〔……〕メッシーナから南への旅も、汽船‐連絡船上のオレンジも、車中の〈大ロンバルディーア人〉も、〈髭あり〉と〈髭なし〉も、マラリアの緑の靄も、そしてシラクーザも。要するに、シチリア自体が、二重の現実そのものなのだった。そしてぼくは旅をしていた、四次元の時空を。》 二-11 ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫

《 鰊は骨を取り除かれ、皿にのせられ、オリーブ油が振りかけられた。》 二-12ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫

《 「偉大なひとだったのですね。お祖父さんは?」ぼくは念を押してみた。〔……〕「偉大なひとだったわ」と言った。「一日に十八時間も働くことができたの。そして立派な社会主義者で、しかも立派な猟騎兵になって〔大した猟師だったし〕堂々と馬に乗っていた、聖ヨセフの行列のときには……」》 二-13 ヴィットリーニ『シチリアでの会話』鷲平京子訳、岩波文庫



  Io ero, quell'inverno, in preda ad astratti furori.
ぼくは、あの冬、漠とした怒りの虜になっていた。
Non diro` quali, non di questo mi son messo a raccontare.
その謂
(いわ)れを言うつもりはない、そのことを語りはじめたのではないから。
Ma bisogna dica
ただし、これだけは言っておこう。
ch'erano astratti, non eroici, non vivi;
その怒りは漠としており、猛々しくはなく、生き生きとしてもいなかったが、
furori, in qualche modo, per il genere umano perduto.
いずれにせよ、失われた人間の類ゆえの怒りであった。
Da molto tempo questo, ed ero col capo chino.
ずいぶんまえからそうだった、そしてぼくはうつむいていた。
Vedevo manifesti di giornali squillanti e chinavo il capo;
声高な新聞の貼出しを見るたびに、ぼくはうなだれていた。
vedevo amici, per un'ora, due ore,
友人たちに会えば、一時間が経ち、二時間が経っても、
e stavo con loro senza dire una parola, chinavo il capo;
彼らといっしょにいるだけで、ひと言も口をきかずに、ぼくはうなだれていた。
e avevo una ragazza o moglie che mi aspettava
そしてぼくには、ぼくを待っている恋人か妻らしき女がいたが、
ma neanche con lei dicevo una parola,
彼女といっしょにいてもやはり、ひと言も口をきかずに、
anche con lei chinavo il capo.
彼女といっしょにいてもやはり、ぼくはうなだれていた。
Pioveva intanto e passavano i giorni, i mesi,
そのあいだじゅう雨が降りしきり、幾日かが過ぎ、幾月かが過ぎていった。
e io avevo le scarpe rotte,
そしてぼくは破れた靴を履いたまま、
l'acqua che mi entrava nelle scarpe,
雨水を靴のなかに浸みこませていた。
e non vi era piu' altro che questo:
そしてもはや何もなかった、これ以外には。
pioggia, massacri sui manifesti dei giornali,
つまり雨と、貼出された新聞紙上の虐殺の数々。
e acqua nelle mie scarpe rotte, muti amici,
ぼくの破れた靴に浸みこむ雨水と、無言の友人たちと、
la vita in me come un sordo sogno,
聾唖
(ろうあ)の夢のようなぼくの生活。
e non speranza, quiete.
そして消えた希望と、静けさと。
(鷲平京子訳、岩波文庫)


ヴィットリーニ 世界の些事

『シチリアでの会話』(岩波文庫)を読み返す。
 劈頭の頁を開いただけで、コンレスカルペロッテ、バニャーテ、……コルカ-ポキーノ……アストラットフーローレ……何度目かの留年の、学生の頃、初めて読んだヴィットリーニの言葉が、頭の中にがんがん轟く。半年ばかりは、あの不思議な小説の虜となって、過ごしたのだった、あたしは。
 院生だった鷲平さんの論文も、新鮮な衝撃だった。奇妙な登場人物が次々と登場するこの小説を、きちんと訳されている。でも、あたしなら、「私」は「ぼく」だし、母と息子の会話に、〈ですます調〉は使えない、鷲平さんがそうした理由こそ、よく分かっても。『ぼくの戦争』(学芸書林『実存と情況』所収)、鷲平さんは読んでくれたかしら?
 退官記念講義を終えられた恩師を、愛車で送っての途中、司会を務めたを目白駅で落とし、石神井を抜けて京子さんとお別れした。裡から知性の洩れ出る彼女を、そのとき美しい、と感じた。
 握手した手のひらが温かかった。いまでは、そのときの握手の意味が、はっきりとわかる。あれは、あたしたち、ぼくら全共闘の世代から、鷲平さんたち、ポスト学園闘争の世代への、《連帯の挨拶》だったのだ、と。
 武蔵関では、両手にあまる真紅の薔薇の花束を抱えて、階段を独り登る、恩師の背を想像して、ハンドルを握るあたしは、ふと眩暈がした。
 あと一つ、世界の些事を忘れていたよ。あの日、あのひととの再会、もあった、十九のころの内側から耀きだすような肌の美しさは、失われていたけれども。

p.s. そのあのひとも、いまは、もういない。旧友たちと、音信の途絶している、このあたしが、たまたま、そのことを知ったのは、ほぼ二年後の今朝、秋台風の掠め去った、今日この日だった。…… あたしではなくて、Kでもなくて、なぜ彼女が死なねばならないのか? …… 風よ、吹け! 海よ、荒れ狂え! 真っ白い小さな鷺――いまは亡きあのひとに

 いまでは、あの握手の意味が、はっきりと分かる。あれは、あたしたちの世代から、鷲平さんたちの世代への、そして新たな失われた世代への、連帯の挨拶、だったのだ。えへん、えへん、……、  封印された言葉は、むろん、《武器を執れ》だ。傷つけられた世界のために! 正義と自由のために。えへん、えへん、そしてエヘン! 
 「……しかしぼくの心は投げつけてやりたい雷という雷でいっぱいなのだ」
 そう、だからこそ、あたしの名まえは、フルミネ=雷、なのだよ。ちかぢか、フォルゴレ、になるかもね。

 錆びた鋏を、錆びたナイフを、そして錆びたペーパーナイフを、研ぐだけでいいのだ、そこからすべてが始まる。

もう一冊の書物
 「解読『シチリアでの会話』」は、〈解読〉という名の、本書中のもう一冊の書物である。いまははっきりと分かる。この日から、小さくは岩波という東海の一出版社の、日本という小島の、大きくは世界の、新たな歴史が始まったのだ。えへん、えへん、老いも若きも、女も男も、武器を執れ、傷つけられた世界のために、〈正義と自由〉のために、えへん、えへん、そしてエヘン!

 鷲平京子さんの言葉、
《なおまた「解読」は、その構成も内容も、イタリア内外の研究者の誰彼の見解を踏襲ないし合成したものではなく、私なりの独自の解釈を書き連ねたものであり、錯誤の類はすべて私自身の責任です。》
 これは大変潔い言葉だし、覚悟のありどころを示すものだし、勇気が要る。あたしの今年の座右の銘はこれで決まり。



空色の切符         


 銀座松屋裏通りを左折、松屋通りに出て、次の角をまた左へ折れようとしたとき、独りの老紳士と目があった。大柄で恰幅のいいその老人は、上衣なしで、隆としたステッキをついて、右足を軽く引きずっていた。その手ぶりどおりに左折して、一通(いっつう)の路肩に停車し、ドアを開けた。
 銀座を流しながら、ぼくの目は間断なく、車と人の往来を見すえながら、ぼくの心の半ばは、シチーリアの空へと飛んでいた、ヴィットリーニの『シチーリアでの会話』の青い雲にのって、ヴィットリーニ『ぼくの戦争』の白い小さないくつもの雲にのって、そしてヴィットリ-二『サルデーニャは幼年時代にも似て』の水色の雲にのりかえて。むろん、エリカと一緒に、ヴィットリーニ『エリカとその妹と弟と』の碧い小さな雲にのって。青い風がぼくらの髪を吹きぬけ、頬を撫でてゆく。そのかたわらには、ヴィットーリニ『メッシーナの女たち』の大きな薔薇色の雲が浮かんでいたし、ヴィットリーニ『センピオーネがフレイウスに片目を瞑る』のうす黄色い雲も漂い、そうしてその奥には、ヴィットリーニ『赤いカーネーション』の大きな雲が、沈みゆく太陽に、茜色に染まっていた。その傍らに薔薇色に輝く小さな千切れ雲に寝そべって、王女ゾベイダのお話に耳を傾けたあの日々よ。Oh, Zobeida simula la mia!  ヴィットリーニ『世界の町』の新しい雲は、まだ見えてこない。それに、遥か彼方からは、ヴィットリーニ『人間と人間に非ざるもの』の真っ黒い雷雲が、稲妻を四方に放ちながら、物凄い勢いで迫ってきてもいた。
 それゆえ、無理もない、ぼくがその恰幅のいい大柄な上衣なしの老人に、〈大ロンバルディーア人〉を見たのは、まったく、無理もない。
 「はい、どうぞ」
 「いや、いい運転手さんにめぐりあった。いつも使っているのは、おたくの車だよ」
 「それはいつもありがとうございます。さあ、どうぞ」
 「いや、きみ、携帯か、何か、持っていないかね?」
 「はい、これでよろしかったら、どうぞ、お使いください」
 「いや、新橋演舞場がはねたら、みなと合流して、寿司でも食って、羽田へ出ようと思っていたんだがね」
 「はあ?」
 「それが、あれが、上衣を預かったまんま、演舞場へ入ってしまったもんで、財布も、何も、その上衣のなかだというのに」
 「それは、お困りでしょう」
 たしかに、日中は、小春日和とでも言うのだろうか、いま時分、そう言ってよいかどうかはさておき、晩秋にしては好い陽気で、車中では、クーラーを入れないと、暑いくらいだった。歩くのに、細君に、上衣を預けたくなるのも、無理はない。
 「上天気の日曜日で、今日は〈孫の日〉とかいうそうだ」
 「どうぞ、お乗りください」
 「いや、合流して、九時には、羽田へ行くのだがね。呼んだら、きみ、この辺へ、来てくれるかね?」
 「はい、かしこまりました」
 「じゃ、その携帯の番号を領収書か、何かに、メモしてくれたまえ」
 「はい、どうぞ」
 「ふむ、〇八〇、一九一九四の夢屋くん、これで、まちがいないかね?」
 「はい、さようです」
 「で、合流するまで、宮川で鰻でも、喰っていようと思うのだが」
 「はあ?」
 「きみ、五千円でも、一万円でも、あるかね?」
 「さあ? ぼくは貧乏ですから」と、答えながら、大きなだけの財布を右胸ポケットから抜きだして、開けて覗いてみると、そこには、なんと、いつものラーメン割引券のわきに、千円札が四枚もおさまっていた。これがつい先週には、喪明け、つまり免停明けの素寒貧で、出番ごとの納金には苦労して、つい先日も、七十円足りなくて、ワルシャワ娘を妻にしてヨーロッパから帰ったばかりの古武道の難破さんに、五百円玉ひとつ借りたほどだったのだが。
 「これっきりしか、ありませんが?」と、なんとなく誇らしげに、ぼくは大きなだけの財布をひろげて、中身を老人の鼻先につきつけた。一瞬、老人は、顔を顰めたみたいだった。
 「ふむ、貸してくれたまえ、九時から九時半のあいだに、電話するから、必ずここに来てくれよ」
 「かしこまりました」と、ぼくは千円札を四枚、あの老人に渡しながら、訊いた。
 「あの、お名まえは?」
 「青葉貿易だよ」
 「かしこまりました」
 かくして、ぼくのなけなしの四千円は、あの老人の手中へおさまり、老人は鰻を喰いに宮川へ行き、ぼくは車を発進させた。
 《宮川で鰻重「松」に銚子の一、二本でも、空けるつもりだったのだろうが、今回は「竹」に酒なしで我慢してもらうんだな。なにしろ、ぼくは貧乏だから。それにしても、夜、上衣なしで、店を出たら、冷えるだろうに》
 そんなことを考えながら、ぼくは昭和通りに出て、やがて車を八重洲口へ向けた。八重洲から汐留まで、礼儀正しい老いた男女一組。銀座から浜町まで、かしましい酔客を四人、だが一人ひとり降ろしていった助手席の若い男客の道案内はたしかだった。久松小のぼくの後輩だったかもしれない。ぼくはまんじりともせず、これは寝るとき眠れないときに使う言葉だろうが、このときは、ぼくは運転しながら、まさに、まんじりともせずに、かの老人からの電話を待った。やがて、気もそぞろになって、念のため、新橋演舞場から、東銀座、西銀座界隈を流した。《青葉貿易? それとも、若葉産業さん? だっけ?》相変らず、ぼくの携帯は鳴らなかった。九時を過ぎても、九時半を過ぎても、ぼくの携帯は、こそとも、鳴らなかった。ぼくはあっけにとられてしまった。そして、なんだか、あっけらかんとしてきた。
 《あの銀座の〈大ロンバルディーア人〉が、ぼくのなけなしの四千円を掠めとるなんてことが、はたしてありえるだろうか?》
 《「いや、貧乏人ほど、だましやすい者はない」と、鰻を喰いおわったかの老人は、歯をせせりながら、いまごろ、嘯いているのであろうか?》
 ところが、あっけにとられたあと、車を転がしながら、ふしぎな達成感に、ぼくは染まっていた。
 《このぼくが、有り金を、見ず知らずの老人に貸したのだ。いや、やってしまったのだ。いやいや、見事に、寸借詐欺にしてやられた、と認めたほうが、いっそ、男らしい、かな?》
 しかし、そのとき、ぼくは、なぜか、感じた。
 《これで、しっかり、ぼくは手に入れたのだ、ぼくのシチーリア行の、空色の切符を!》






人間と人間に非ざる者と Uomini e No


《   立ち止まって本を見ていた男は、大気に、空に目をやった、路面電車を照らす陽射しが見えた、ポルタ・ヴェネツィアの停留所を出る二十七番の電車が見えた、満員の乗客の中に、窓ガラスにひじと背を押しつけた女の姿が目に入った。
 その時、男の中で大きく騒ぐものがあった、男は自転車を押して走りながら電車のレールを横切り、広場にたどり着いた。その時には電車はもう遠ざかり、レールを軋ませながら次の停車場の向こうにいた、それでも男は自転車にとび乗って電車を追いかけた。しばらく走ったが、電車にぎっしり詰まった黒っぽい人混みの中には男が追いかけている女のひじと背はもう見当たらなかった。だが男には見間違いではないことはわかっていた、彼の中で大きく騒ぐものが続いていた、そして九月、十月、十一月、十二月と、過去、日ごとに彼に訪れていたある光明が、今のその光明とひとつになった。
 スカラ座前の広場で女は降りた。》 エリオ・ヴィットリーニ『人間と人間にあらざるものと』脇功・武谷なおみ・多田俊一・和田忠彦・伊田久美子訳、松籟社  

《 十五  自転車に乗ったあの三人の若者は彼とすれちがった。
  〔……〕
  車が動き出した。
  自転車に乗った三人の若者が、車の前で三人とも同じ方向へ道を避けた、その時N2は三人が手を振り上げるのを見た、三度爆発音が聞こえた。
  「やった!」彼は叫んだ。彼は自転車にまたがり、ピストルを引き出した。
  上では金髪の若い兵士が自転車で逃げようとする三人を黒光りのする銃で狙っていた、階段の下ではついさっきまで挨拶をしていた将校がピストルの安全装置をはずそうとしていた。
  将校はドイツ語でなにかわめいた。
  「どうしてほしいんだ?」N2は叫んだ。「そこのおまえもどうしてほしいってんだ!」
  彼は二発撃った、金髪の若い兵士が銃をかかえたまま崩おれた、将校は振り向いて撃ってきた。
  その姿はまるで拡大していくみたいに見えた。その姿は拡大していった、拡大し続けた、N2は拡大していくその体に向かって撃ち込んだ、その向こうには道を塞ぐようにして煙を噴き出している焼け焦げた黒塗りの自動車が見えた。》 エリオ・ヴィットリーニ『人間と人間にあらざるものと』脇功・武谷なおみ・多田俊一・和田忠彦・伊田久美子訳、松籟社

《 十七  彼はロレーナを追い越した、ひとりきりだった、彼は町の中に砂漠を見た。
  砂漠の中に家々の骸骨が、家々の亡霊があった、表戸は閉ざされ、窓は閉ざされ、店も閉まっていた。
  砂漠の太陽が冬の町の上を照らしていた。冬は一九〇八年このかたなかったような冬だった、そして砂漠は世界のどこにもかつてなかったような砂漠だった、アフリカの砂漠のようでもなく、オーストラリアの砂漠のようでもなく、砂も石もなかった、だがそれは世界のどこにもあるような砂漠だった。部屋の中にも存在するようなものだった。
  男がひとり入って行く。砂漠の中に入って行く。
  N2はそれが砂漠であるのを知った、彼は砂漠を横切りながらベルタのことを考えていた、彼女はミラノに住んでいないのだ。彼はセンピオーネ通りのつきあたりにある自分の棲み家に向かった。
  背後の砂漠の上にはあいかわらず〈黒犬〉の叫び声が響いていた。
  彼は自分の部屋に入った。》 エリオ・ヴィットリーニ『人間と人間にあらざるものと』脇功・武谷なおみ・多田俊一・和田忠彦・伊田久美子訳、松籟社

                  〔……〕

《 百三十一  〔……〕
  七才の彼を、私は連れて行ってしまおう。部屋の中には、二丁のピストルを手にした死の装置以外にはなにもありはしない。》 エリオ・ヴィットリーニ『人間と人間にあらざるものと』脇功・武谷なおみ・多田俊一・和田忠彦・伊田久美子訳、松籟社







《 アントーニアは幼いときに両親を亡くし、おじたちは海外に移住しなければならず、この子をどこに預ければよいかわからなかったので、天使通りの修道院においていった。》 「天使の通り」エルサ・モランテ『アンダルシアの肩掛け』北代美和子訳、河出書房新社
《 道は斜めにのぼり、壁のあの黄色によっていっそう明るくなった太陽が、晴れてさわやかな空から降り注いでいた。道が「天使の」通りと呼ばれていたのは、巨大な翼をたたんだ石像が十字路に立っていたためだ。それは頭がとれた醜い像で、腕がなく、黒ずんだ大きな足で前に進もうとしていた。その由来については、すべての記憶が失われた。》 「天使の通り」エルサ・モランテ『アンダルシアの肩掛け』北代美和子訳、河出書房新社

 
 あたしと同名の少女エリサが物語る『嘘と呪いMenzogna e sortilegioには、何度読んでも心底感動させられてしまう。少し怖い気持ちもまだ残る。
 「……小説というものの極限、――文学の極北まできみを誘う……」
 とか、栞代わりにしていた二つ折りの小紙片――シガレットペイパー――の裏には、鉛筆で書きつけられていたっけ。もうとっくの昔に煙にしてしまったけれど。
 それから、
 「ウゼッペ、死なないで!」
 と、何度も呟きながら、彼女の長編小説『歴史La Storiaを読み返し、いくぶん途惑いながらも、『アルトゥーロの島L'isola di Arturoの中では、エリサの物語の書き手と確かに再会したのに、この際と、手を伸ばした『アラコエリAracoeliでは、エリサとアルトゥーロの物語の書き手を見出すまでに、五十頁も七十頁も苦しみながら読み進まねばならなかった。
 そして詩集『アリバイAlibi。いくつか核になる語が浮びあがる。これら数語の意味が明らかになれば、詩心をもっと鮮明につかめるのに。けれどもあたしはそれらを、そのまま、わからないままに温めて、つぎの再読の折まで取っておく。
 それから短篇集『アンダルシア織のショールLo Scialle andaluso。衝撃的な、胸の潰れるような短篇の数々。けれどもそれらは、胸の潰れた粒つぶのなかからまた生命が甦る、そうした再生を予感させる物語でもあるわけだ。
 気がつけば、『アルトゥーロの島』をまた読みだしている。これは禁断の恋というよりは、アルトゥーロ少年と世界との闘いの物語だ。
 そして夢日記『日記一九三八年Diario 1938に至って、少し中断したくなる。(アルベルト・モラヴィア)とエルサ・モランテElsa Moranteとの関係が、あたしととの関係とパラレルだなんてことは、到底ありえない。
 『世界を救った少年少女たちIl mondo salvato dai ragazzini e altri poemi は手許から離したことのなかった時期もあったのに、いまいくら探しても見つからない……
 そうしていま読み止しのままに開いているのは、『忘れられた短篇たちRacconti dimenticati。まったく若書きのエルサの掌篇・短篇群は凄まじいほどの素晴らしさだ。狂気と見紛うほどの天分をひしひしと感じさせられてしまう。
 まだある。評論集『原子爆弾賛否PRO O CONTRO LA BOMBA ATOMICA e altri scritti 。エルサが孤軍、世界の現実に立ちむかう、その果敢さには、『海賊評論』におけるパゾリーニの姿を髣髴とさせるものがある。サーバやベアート・アンジェリコについての文章にはエリサの涙が、「あたしのナヴォナ広場」にはエリサの微笑みが、光っている。


 それから彼女が十三歳のときに書いた童話、『カテリーナのふのしぎなお話LE STRAORDINARIE AVVENTURE DI CATERINA、これは邦訳(河島英昭訳・岩波書店)で読んだ。あなたが三つ編みの少女ならば、まだ幼い妹や弟たち、そして大小の猫たちに読んできかせてやるとよいでしょう、この三つ編みの少女カテリーナの冒険を。おやすみ。

 いまはまた『嘘と呪い』を読んでいる。目をはなせば、酸素吸入の管も点滴の管もはずしてベッドをおりようとする母につき添って六時間、いままたこのエリサの物語をあたしは読んでいる。救急搬送された病院の集中治療室まえの深夜にも、思えばあたしは、この小説を読み返していた。
 《母は助かるのか?》
 《それは母の生命力に期待するしかない》
 諦めとも、無力感ともちがう透明な意識にささえられて、あたしは読んでいた。じっさい、すべての希望が閉ざされたとき、あたしにできることはいつも本を読むことだけだった。
 《それにしてもこのあたしは、エリサのこの物語をほんとうに読んだことがあったのだろうか?》
まるでいまはじめて読むような新鮮な驚きに身をまかせて、扉ひとつを隔てて生死の境をさまよう母のことも、あたしはいつしか忘れていた。


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